思いを綴る ≠ 読み手を考える
すみません、今回完全にヒトリゴトです。
といっても今まで書いてきたことも読んでもらうことを意識はしていたけど、読みたいと思わせる文章には至っていなかったと思います。
なぜブログを始めたか。
文字を記すこと(日記、メール、書類などすべて)は、文字を覚えてから死ぬまでやることだと思います。
ブログを始めた1ヶ月半前と今の心境を、忘れないように。
今後もブログを続け、ふと何か迷ったときに振り返れるように、まとめておこうと思いました。
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私は【物書き】を目指したことのある子供だった。
中学生。
400字詰めの原稿用紙に、100枚。
今でいうライトノベルの新人賞を目指す短編小説。
いかに100枚を埋めるか、ただ埋めるだけが目標になっていた。
「これは私にしか書けない!」
と自画自賛した作品は、別の意味で私しか書けない、見るに堪えない小っ恥ずかしいものだった。
そんな思春期·厨ニ(まさに中2くらい)を過ごし、【夢】は少し現実的な【目標】に変わり、言葉を紡いでいく作業から離れた。
書くというのが再び始まったのはSNSのはしり、
mixi、facebookを始めた頃だろう。
恥ずかしい捌け口。
寂しさと、自己顕示。
結局は周囲からの反応が欲しかったための言葉しか吐いていないことに気づいたとき、止めた。
時間はかかったが、自分で気づけた。
それ以降もメッセージやメール、仕事での文章作成などでも文章を綴ることはあったが、今私は自ら書くことを選んだ。
なにかの返事でもなく、納得させるための報告的なものでもなく、思いを中心に書くことを。
【書かなきゃ】ではなく【書こう】という気持ちで動き出した。
が、どうだろう。
目的はなんだった? 動機は?
いつかは得たい、収入のためじゃないのか。
そしてそのために感情を捻じ曲げ、飾った言葉を使い、文章を作るのだろうか。
気持ちに沿った言葉を文章で表現することは正しいのか。
沈んだ気持ちの時には?
読んだ人はどう思うだろうか。
書くことで私に利はあるのだろうか。
慰めや励ましが欲しいのか、あの頃のように。
はたまた文字にすることでの気持ちの整理か。
ならば人の目に触れないノートにでも書けばいい。
黒い気持ちを隠して、華やかな写真とおどけた文章で気持ちを持ち上げるのか。
どちらにしても読む側はいい迷惑だろう。
この一文。
このブログを書くことの意味を考える材料になるはずだ。
飾った言葉ではない。
書いていて、素直に湧き出た文章だった。
思考より先に指先が動く=素直な思いを綴ることにもなるのだろうか。
向き合っていけば、そこに答えを見出すこともあるのだろうか。
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意味を持った文章を綴りたい。
何か見つけるまで、まだまだたくさんの時間を要すると思います。
それまではごめんなさい。
こんなですがのダメのタワゴトを流し読みでもしてくださると、
やはり大変嬉しいのです。
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